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2013年10月03日
負荷をかけること(体罰について③)

こんにちは。ここ数日、暑くてびっくりな春風館の望月です。
前回、前々回と体罰について書かせていただきましたが、
今日もそれと少し関連するお話しとして、
教育の場で「負荷をかけること」について述べてみたいと思います。
体罰を禁止しようという場合、
一般論としては、「体罰による身体的苦痛を与えなくても指導ができるはずだ」
という考えが前提にあるのだと思います。
では体罰を抜きにどのように指導するかというお話しになりますが、ここで
「身体的苦痛を与えなくても口で言えばよい」となると、
その前提として
「身体的苦痛を与えなくても精神的苦痛を与えればよい」
という考え方があるように聞こえてしまいます。
となると、今度は「体罰にならないからと言って言葉の暴力をふるうのはひどいじゃないか」
というお話しになり、
「苦痛を与えなくても指導はできるはずだ」というお話しになってきます。
※私個人は前回述べた通り、
本人に何かを教えるために、その本人のためになるのであれば、
身体的苦痛を与えることも精神的苦痛を与えることも時には必要だと考えていますし、
そういうきちんとした目的がないのであれば、体罰であるないに関わらず、苦痛は与えるべきではないと考えています。
でも、ちょっと待って下さい。
「苦痛を与えることなしに、教育をすること」はできるのでしょうか?
何度も言う通り、本人のためにならないような(なるかどうか考えてもいないような)苦痛を与えることには反対です。
しかし、成長するためには何らかの「負荷」が必要で、
負荷がかかればストレスも感じ、苦痛も味わうものです。
負荷のない運動では身体は鍛えられません。
勉強だって「めんどくさい、嫌だ、考えるのが辛い」と感じることに向きあうから脳が成長していくのです。
負荷に耐えるから心も鍛えられていくのです。
苦痛を与えることが何でも悪なら、
「本人が嫌がるのに難しい問題に取り組ませた」
「本人が辛いと言っているのにたくさん漢字を書かせた」
「本人が今テレビを見たいと言っているのに見させてあげなかった」
といったことも「ひどい」「体罰だ」というお話しになってしまいます。
なるべく負荷をかけない環境をつくり、
がんばらせず、がまんもさせずに子どもを育てていけば、
頭も身体も心も弱いまま大きくなっていきます。
そういう子たちが弱いまま、近い将来、厳しく不条理にあふれた負荷だらけの社会に放り出される。
そんな恐ろしいことがあってよいはずがありません。
もちろん、本人が耐え切れないほどの負荷をかけて潰してしまうのでは困りますし、
状況によって(例えば、虐待を受けて心に深い傷を負っている場合など)は、
なるべく負荷をかけず、すべてを許し、まずは本当に安心してもらう状態をつくることが必要な場合もあります。
しかし、間違った負荷のかけ方で起きてしまった不幸な事件ばかりを騒ぎたて、
なんでもかんでも罰はダメ、負荷はダメとしてしまうのでは、よい教育の環境をつくっていくのは難しいのではないでしょうか。
教育の場で罰を与えることや苦痛を与えることについて是非を問う場合、
現場をよく知った上で、よくよく考えて論じる必要があるように感じます。
小中学生の学習指導・社会人文章講座に関するお問い合わせは
TEL:054-201-9801
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春風館(望月)まで
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今回の記事は続きがあります。
余談となりますが、お時間のある方はクリックしてご覧下さい。
前回、前々回と体罰について書かせていただきましたが、
今日もそれと少し関連するお話しとして、
教育の場で「負荷をかけること」について述べてみたいと思います。
体罰を禁止しようという場合、
一般論としては、「体罰による身体的苦痛を与えなくても指導ができるはずだ」
という考えが前提にあるのだと思います。
では体罰を抜きにどのように指導するかというお話しになりますが、ここで
「身体的苦痛を与えなくても口で言えばよい」となると、
その前提として
「身体的苦痛を与えなくても精神的苦痛を与えればよい」
という考え方があるように聞こえてしまいます。
となると、今度は「体罰にならないからと言って言葉の暴力をふるうのはひどいじゃないか」
というお話しになり、
「苦痛を与えなくても指導はできるはずだ」というお話しになってきます。
※私個人は前回述べた通り、
本人に何かを教えるために、その本人のためになるのであれば、
身体的苦痛を与えることも精神的苦痛を与えることも時には必要だと考えていますし、
そういうきちんとした目的がないのであれば、体罰であるないに関わらず、苦痛は与えるべきではないと考えています。
でも、ちょっと待って下さい。
「苦痛を与えることなしに、教育をすること」はできるのでしょうか?
何度も言う通り、本人のためにならないような(なるかどうか考えてもいないような)苦痛を与えることには反対です。
しかし、成長するためには何らかの「負荷」が必要で、
負荷がかかればストレスも感じ、苦痛も味わうものです。
負荷のない運動では身体は鍛えられません。
勉強だって「めんどくさい、嫌だ、考えるのが辛い」と感じることに向きあうから脳が成長していくのです。
負荷に耐えるから心も鍛えられていくのです。
苦痛を与えることが何でも悪なら、
「本人が嫌がるのに難しい問題に取り組ませた」
「本人が辛いと言っているのにたくさん漢字を書かせた」
「本人が今テレビを見たいと言っているのに見させてあげなかった」
といったことも「ひどい」「体罰だ」というお話しになってしまいます。
なるべく負荷をかけない環境をつくり、
がんばらせず、がまんもさせずに子どもを育てていけば、
頭も身体も心も弱いまま大きくなっていきます。
そういう子たちが弱いまま、近い将来、厳しく不条理にあふれた負荷だらけの社会に放り出される。
そんな恐ろしいことがあってよいはずがありません。
もちろん、本人が耐え切れないほどの負荷をかけて潰してしまうのでは困りますし、
状況によって(例えば、虐待を受けて心に深い傷を負っている場合など)は、
なるべく負荷をかけず、すべてを許し、まずは本当に安心してもらう状態をつくることが必要な場合もあります。
しかし、間違った負荷のかけ方で起きてしまった不幸な事件ばかりを騒ぎたて、
なんでもかんでも罰はダメ、負荷はダメとしてしまうのでは、よい教育の環境をつくっていくのは難しいのではないでしょうか。
教育の場で罰を与えることや苦痛を与えることについて是非を問う場合、
現場をよく知った上で、よくよく考えて論じる必要があるように感じます。
小中学生の学習指導・社会人文章講座に関するお問い合わせは
TEL:054-201-9801
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春風館(望月)まで
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今回の記事は続きがあります。
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もうひとつ付け加えておけば、
罰を与えること、負荷を与えることは、与える方にこそより大きなストレスを与えます。
中には人を苦しませるのが好きだという変質的な方もいるかも知れませんが、
普通は誰だって叱りたくもないし、罰や負荷を与えたくもないわけです。
褒めてかわいがって喜ばせてあげたい。
だから、叱ったり怒ったり罰を与えたり、本人が嫌がることをやらせたり、がまんをさせたりすることは、
教育する大人の側が逃げて、なるべく避けようとしてしまうこともあります。
・自分も嫌な気持ちになるのが嫌だ。
・子どもに悪く思われたくない。
・そこまでエネルギーを使いたくない。
・子どもを傷つけるリスクや責任を負いたくない。
・他の大人に文句を言われたくない。
最近はこういった理由から、
子どもを叱るのを躊躇して、見ないふりをしてしまうケースも多いのではないでしょうか?
それでも子ども愛し、子どものためを思うのであれば、
大人は勇気をもって叱るべきときは叱り、子どもに苦痛を与えるべきだと思います。
そういったことを、みんながお互いに理解し合える地域、社会であることが、
子どもの教育にとって大切なことのように思います。
私自身も、生徒を叱ったりするのは大きな苦痛です。
褒めるだけで毎日過ごせればどんなに楽だろうと何度思ったことか分かりません。
それでも学習塾というかたちで教育の現場に関わる以上、
その苦痛から逃げることは許されないことだと覚悟しています。
罰を与えること、負荷を与えることは、与える方にこそより大きなストレスを与えます。
中には人を苦しませるのが好きだという変質的な方もいるかも知れませんが、
普通は誰だって叱りたくもないし、罰や負荷を与えたくもないわけです。
褒めてかわいがって喜ばせてあげたい。
だから、叱ったり怒ったり罰を与えたり、本人が嫌がることをやらせたり、がまんをさせたりすることは、
教育する大人の側が逃げて、なるべく避けようとしてしまうこともあります。
・自分も嫌な気持ちになるのが嫌だ。
・子どもに悪く思われたくない。
・そこまでエネルギーを使いたくない。
・子どもを傷つけるリスクや責任を負いたくない。
・他の大人に文句を言われたくない。
最近はこういった理由から、
子どもを叱るのを躊躇して、見ないふりをしてしまうケースも多いのではないでしょうか?
それでも子ども愛し、子どものためを思うのであれば、
大人は勇気をもって叱るべきときは叱り、子どもに苦痛を与えるべきだと思います。
そういったことを、みんながお互いに理解し合える地域、社会であることが、
子どもの教育にとって大切なことのように思います。
私自身も、生徒を叱ったりするのは大きな苦痛です。
褒めるだけで毎日過ごせればどんなに楽だろうと何度思ったことか分かりません。
それでも学習塾というかたちで教育の現場に関わる以上、
その苦痛から逃げることは許されないことだと覚悟しています。
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Posted by もちづき at 23:36│Comments(0)
│教育に関する話題
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